1つでの灯で笑顔溢れ場所を創る

弊社は毎年クリスマスに、心身障害者施設様へクリスマスツリーを贈らせて頂いております

こんにちは。Keick Lighting Arts 株式会社 代表の可知敬壱です。

弊社は毎年クリスマスに、心身障害者施設様へクリスマスツリーを贈らせて頂いております。

私にはある想いがあるからです。

私は23歳の時、母親を亡くしました。
母は私の支えだったのでショックはとても大きなものでした。

塞ぎ込む私を助けてくれたのは当時お付き合いしていた彼女でした。
そして私達は結婚することが出来ました。
彼女は幸せな毎日を私にくれました。

結婚5年目、彼女は私との子を身ごもってくれました。
2人にとって待望の子、私はまた幸せをもらいました。

出産を一ヶ月後に控えた頃、妻が帰省先の実家で倒れました。
脳梗塞でした。

搬送先の病院では直ちに、子供が危険と判断され帝王切開がされました。
既に妻の心肺は停止していたそうです。
そして我が子は仮死状態で産声を上げる事無く産まれました。

私が病院に駆け付けた時には、母子ともにICU、NICUで治療を受けていました。
目を覆いたくなる状態でした。

それでも妻は必死で生きようと頑張ってくれましたが、3週間後に亡くなりました。
私が33歳の時です。

娘はか弱いながらも何とか一命を取り留めることが出来ました。
ただ仮死状態で産まれた影響で、脳に障害がある事が分かりました。
私と娘の闘病生活が始まりました。

それは不安の連続でしたが、妻の面影を感じる娘との闘病生活は
少しも苦ではありませんでした。

昼は仕事をし、夜は病院に通う毎日を過ごしました。

2度目のクリスマスを迎える直前、11月18日に娘は亡くなりました。

この頃、娘とした約束があります。
「一緒にクリスマスツリーを見よう」

それから暫く引き込もった時期もありましたが、周りの方々に支えて頂き、徐々に再び働きだすことが出来るようになりました。
ささやかではありますが弊社も段々と社会のお役に立てるようになってきました。

そして、その利益の一部からクリスマスツリーを心身障害者施設様へ贈らせて頂いております。
私が電気や照明に携わる仕事を選べたのは偶然ですが、私だから出来る灯りがあるのです。
今はまだ少数ですが、一つでも多く日本全国の心身障害者施設様へツリーを届け、少しでも子供達に笑顔を、親御様に勇気を与えられたら、と思っています。

社員や協力会社様の皆はこの思いに賛同して私を手伝ってくれている人達です。
有り難いの外に言葉がありません。

3つの命から教えて頂いた事を胸に
今日も一同、日々の業務に励んでおります。

Keick Lighting Arts 株式会社

代表取締役 可知 敬壱

当時の記録は外部ブログに残しています。

雲の向こうは、いつも青空。

私と一緒に、クリスマスツリーを届けませんか?

可知 敬壱

弊社では、共に働いてくれる仲間を募集しています。通常は電気工事や工事に伴う事務職に従事して頂きますが、毎年10月頃になるとサンタの格好に身を包み、クリスマスツリーを届けに行きます。私の想い、会社の活動に賛同頂けましたら、その力を私たちに貸してください。